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ひろまさ(@hiromasa79)です。
退院から約1年。
病気が判明して以降、はじめて、実家のある京都に帰省しました。
心配し応援してくれていた両親や親族、地元の友人たちに快気のあいさつをしたかったからです。

きっかけは、軽い気持ちでフェイスブックにあげたメッセージ。
そこから、幹事の手をあげてくれた親友がたくさんの旧友を集めてくれ、先日盛大なパーティを開催してくれました!
めちゃくちゃ嬉しかったし、楽しかったし、感動したし、感謝した。
いっぱい泣いて、いっぱい笑って、いっぱい喋って、生きていて本当に良かったと思った。
素敵な思い出をみんなでシェアしたくて記事にしました。
八条のみんなありがとう!!
主催してくれた二人本当にありがとう!
幼馴染と交わした約束のこと

ぼくにはちょっとした運命を感じている幼馴染が一人いる。
同じ“田中”という姓・同じ生年月日・0歳から同じ保育園で6年間を過ごした、といういわゆる“腐れ縁”の友人。
それ以降今に至るまで、全然違う人生を歩んでいるけれども、ずっと友人関係が続いている。
自分が急性リンパ性白血病だとわかったときも、すぐに福岡に見舞いに駆けつけてくれた。
極度の恥ずかしがり屋で、面等向かって真面目なことは絶対に言わない彼が、見舞いの後にくれた言葉。
「次は生きて京都で再会するぞ。絶対やからな!」
そういうことを言うキャラじゃないのは、ぼくが一番わかっている。
それだけに、彼のその言葉はグッサリとぼくの心に突き刺さった。
治療でどんなにつらいことがあっても、心が折れてしまった時も、その約束を思い出して歯を食いしばった。
そして、その約束を今回やっと果たすことができた。
次の約束が生きる目標になる

“これで終わった”安堵しているぼくに向かって、彼はこう言った。
「おいひろし、次の約束や!それが終わったらまた次の約束するぞ。これからずっとや。」
もうね、泣けるよね。
嬉しすぎて涙しか出てこないよね。
もういっかいサッカーしよう!

キャプテン翼に憧れてサッカーを始めたのが小学2年生。
それからの青春時代をサッカーに捧げてきた。
治療が原因で歩けなくなった時期もあった。
退院してからも、階段の上り下りすらままならない現状。
「普通の仕事にも就けないのに、激しいスポーツなんてできるはずがない。」
無意識のうちに諦めていた自分に、敢えてサッカーボールとスパイクをプレゼントしてくれた。
↓
このスパイクを履いて、ボールを追いかけてグラウンドを走り回りたい!
またひとつ叶えたい目標が増えた。
周りの笑顔が生きる意味になる







自分は白血病というある種の挫折経験だったけど、みんなにはそれぞれの経験がある。
先天性の心疾患を抱えた我が子の将来を思う父親。
弟の死を乗り越えて、奮闘する兄。
普段口にはしなくても、抱えているものがあるのは自分だけじゃない。
それでもみんな前向きに生きている。
笑って生きている。
自分と関わるすべての人が笑顔でありますように!
P.S.
素敵すぎます!大大号泣しました(T-T)
いい仲間がたくさんいて、タイトル通り本当に世界一幸せ者ですね!
いつか外来で田中さんとお会い出来るのを楽しみにしています\( ˆoˆ )/
kiさん コメントありがとうございます^^
さっそく本日外来診察に来ています。
お会いできる日を楽しみにしています♫