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ひろまさ(@hiromasa79)です。
今日は自分語りです。画像も見出しもありません。文章のみで伝えたいと思ったからです。
このブログを読んでくれている方は知ってる方も多いと思いますが、ぼくはフィラデルフィア染色体陽性急性リンパ性白血病という病気と今も戦っています。
おかげさまで最近は、少しづつ服用する薬の数も減ってきたり、顔のむくみ(薬の副作用)もほぼなくなって、パッと見は健康な人と見分けがつかないくらいです。
今はとても楽しくて、自由にブログを更新したり、家族との時間を過ごしたりできるのがとても幸せです。
収入の面では、“ブログで生計を立てる”なんて到底言えないレベルですが、“今年中には達成する”と決めて取り組んでるところです。
新しいことにチャレンジするのは本当に大変なことだし、安心できる場所から一歩踏み出すというのはとても勇気が必要なことです。
ぼくも10年勤めた会社を、病気が原因で退職せざるを得なくなった時、どうしようもない不安に襲われました。
体調の不安はもちろん、この歳(37)で重い病歴ありの自分を雇ってくれる会社なんてあるのか?
退職が決まった8月の段階ではまだ一人でうまく歩けずに、両手杖を使ってなんとか歩いていました。
そんな状態でまともな職業に就くのは無理だというのは薄々感じていました。
安定した収入の保障がどこにもない。
そんな中で、全くの素人にもかかわらず“ブログで生きていく”という決断をできた裏には、ある経験が大きく関係しています。
「白血病になって1度目の人生は終わった。これからは2周目の人生のスタート、0から始めよう。」
こう思うようになったエピソードを聞いてください。
1年以上の長い入院生活。病院の個室に隔離された生活の中で、「ぼくは今までの自分とは全く別人になってしまった」と強く感じるようになりました。
・中学生の時、やんちゃで活発な友達グループで悪目立ちしていた姿
・高校生の時に朝から晩までひたすらサッカーに打ち込んていた姿
・そこそこモテてイキがっていた大学時代の姿
・好きな職業に就いてバリバリ仕事をしていた姿
今まで積み上げてきた、他人の中にある過去のイメージの自分はもう存在しない。
やせ細った身体や、パンパンに膨れ上がった顔を鏡で見るたびに、“もう病気になる前の自分には戻れないんだ”という現実を目の当たりにしました。
「病気の治療は何のためにするのか?」
こう聞かれたら、きっと大勢の人がこう答えると思います。
「元気になって元の生活に戻るためでしょう」と。
ぼくも治療が始まってしばらくの間はそう思っていました。
「1日も早く病気を克服して元の場所に戻るぞ。」それが、辛い治療を耐えるモチベーションになっていました。
でも抗がん剤の副作用で頭の毛が抜け、下痢や嘔吐を繰り返し、体力もどんどんなくなっていくにつれて、それは夢物語なんじゃないかと思うようになっていきました。
多分、あのまま過去の自分に固執していたら、ギャップに耐えられなくなって気が狂ってしまっていたと思います。
だけど、そのどうしようもないネガティブな感情からぼくを解放してくれたのは家族の存在でした。
奥さんは、「生活を切り詰めてでも看病ができるように」とアルバイトを休職にして、毎日見舞いに訪れてくれました。
奥さんが来れない日は、お義母さんが代わりに来てくれました。
たまに会える子供達は、顔を見ただけで満面の笑みで駆け寄って来てくれました。
両親はことあるごとに京都から福岡に来てくれて、時間が許す限りそばに座っていてくれました。
2度目の再発とT315iという遺伝子異常が分かったとき、多分奥さんも覚悟を決めた瞬間があったと思います。
自分でも、死と隣り合わせの状況だというのは肌感覚で理解していました。
そんな状況でも奥さんは弱音の一言も吐かずに、ただ「一緒に生きよう」とぼくを励まし続けてくれました。
そうやって自分を支えてくれた家族は、誰一人として「早く元気になろう、元に戻ろう」なんて言葉は言いませんでした。
「ただ生きてさえいてくれれば、それでいい。」
もう、過去に自分にすがりついていたのは当の本人だけだったんです。
周りの人からしたらそんなものはどうでもいいことで、“ぼくという人間が生きていればいい”。
そう思っていたんだと理解できた時、全てのモヤモヤした気持ちが吹っ飛びました。
「この人たちが思ってくれたように、自分もこの人たちのために生きよう。」
「この人たちを幸せにするためにはどうすればいい?」
そう思えるようになったことで、過去の自分と決別することができ、本当の意味で前を向けるようになりました。
2周目の人生。
今自分は、2周目の人生を歩んでいます。
1周目の人生はいろんなことがありました。自分の好き勝手に生きてきたし、他の人に自慢できるくらいにサッカーや仕事を頑張りました。
あの時こうすればよかった、あんなこと言わなければよかった、これはやってよかったな、たくさんの経験をすることができました。
だから2周目の人生は、1周目よりももっともっと素敵で楽しい人生にしようと思います。
だって、せっかく幸せになるための方法を1周目の人生で学んだのだから。
あとがき
ひたすら活字だけなのに、ここまで読み進めてくださり本当にありがとうございます。
“2周目の人生”という言葉は、映画『沈黙』に出演している窪塚洋介さんのインタビューからいただきました。
彼も、若くして人気俳優となったにもかかわらず、有名な飛び降り事件などあって表舞台から消えていた過去があります。そこからまた、精力的に活動をしてハリウッド映画の準主役を演じるに至る過程で、「2周目の人生」という考え方を語っていました。
自分と同い年である彼の言葉に非常に共感し、今回の記事を書きました。
では
初めまして
私も現在リンパ性白血病で入院中の30代です
とても共感して泣けました
現在、さい帯血移植して生着後1ヵ月くらいなんですが
入院した初期の頃、もしまた生きて普通の生活に戻れたら、一度死んだものとして人生を再スタートしようと静かに思ったのを思い出しました
しかし、世間から隔離され毎日部屋から出ることも出来ず、夜はおしっこ出過ぎで眠れず、ご飯の変わりに薬を食べるような生活で、だんだんと心がやさぐれていくのが感じられ、すっかりポジティブな気持ちを奪われていました
でも私も二周めの人生を生きてみたいから、それもせっかくならとことん楽しんで生きてやりたいから、今回の記事で頑張ろうと思えました
勇気をありがとうございました
なごさん、初めましてこんにちは^^
メッセージの書き込みありがとうございます!
同世代で同じ病気という境遇までそっくりでとても他人事とは思えません!
ですが、移植ご生着も確認できたとのことですので、少し安心いたしました。
なごさんのおっしゃるとおり、治療中は世間から隔離された世界での生活が続き、
だんだんと生きている意味さえも忘れてしまいそうになることがあったのを今でも覚えています。
今でこそ言えることなのかもしれませんが、ありのままを受け入れられるようになって、
今までの自分がいかに「些細な価値観に縛られて窮屈に生きてきたのか」と感じることがよくあります。
自分の人生を彩り豊かにできるかどうかは、他の誰でもない自分自身ですよね!
最後になりましたが、なごさんの治療がうまく生きますように、
素敵な人生となりますように、心から願っております。