はじめまして、当ブログの著者ひろまさ(@hiromasa79)です。
ひろまさってだれ?どんな人?
昭和54年生まれ。
京都出身。
2015年4月、急性リンパ性白血病の告知を受けました。
長期入院治療をきっかけに、15年働いたアパレル業を引退。
現在は、主夫としてゆっくり2周目の人生を楽しく暮らしています。
どんな半生を送ってきたのか?
サッカーに明け暮れた少年時代
ジャンプ全盛期の小学2年生の頃、バザーで買った漫画「キャプテン翼」に衝撃を受け、親に懇願してサッカークラブに入団。小さなクラブだったこともあり、すぐにスタメン要員となりどんどんサッカーにのめり込んでいくことになります。
中学生に上がった頃にはJリーグも開幕し、将来はプロのサッカー選手になるんだと心から信じて、サッカーに明け暮れる日々を過ごしていました。
サッカーでは1番になれないと悟った高校生活
将来プロになりたかった自分は、京都では屈指の強豪校の体育科に進学。自分という存在の全てをかける意気込みで、サッカーに取り組みました。
しかし同じクラスのサッカー部員は、自分とは違ってスカウトされて入学したエリートばかりです。
死に物狂いで練習に打ち込んだものの、肝心な紅白戦や1軍との入れ替え試験で思うような結果が残すことができませんでした。
サッカーはめちゃくちゃ好きだけど、ここで1番になることはできない。3年生に進級するころには、完全に気持ちが折れていました。
思い返せば、人生で初めて味わった大きな挫折の経験だったと思います。
サッカーで生きていくことを半ば諦めたぼくは、“せめて勉強の方で結果を残そう”と、体育科なのに勉強熱心という矛盾した高校3年の1年間を過ごしました。
おかげで進学の際に、指定校推薦というチートチケットを手に入れられたので、ある意味作戦は成功だったと言えます。
遊びに明け暮れた大学生時代
“3年間360日サッカー”という生活から解放されて勘違いしたぼくは、毎日遊び狂うチャラい大学生へと変貌を遂げます。
スロット・麻雀・風俗・ナンパ・バンド活動・バイト・・・etc. 好きな時に好きなだけ遊ぶ、昼夜関係なく寝たいだけ寝るという自堕落な生活。
この頃に戻れるなら、ボッコボコになるまで自分を殴ってやりたいです(笑)
就活のプレッシャーでアトピーになって引きこもりに
そんなふざけた生活を送った大学3年間のツケが、最後に一気に回ってきます。
1年間で取得可能な単位数を、MAXで取らないとで卒業できないというピンチ。
・・・にも関わらず、3年生の秋に始まった就職活動も説明会すら行かず、深夜からスロット店の開店待ちをするような日々を続けていました。
一方で、大学の友人はマスコミや大手の面接に行ったり、内定をもらったという話を聞いたりして、内心焦りがドンドン膨らんでいきます。
「このままでいいんだろうか?」
そう思いながらも、3年間続けてきた習慣は、簡単には変えることはできません。
プレッシャーとの葛藤が続いた結果、不眠になり、昼夜が逆転し、次第に身体がボロボロになっていきました。
もともと、小学生低学年まで食事制限しなければいけないほどのアトピー体質だったこともあってか、気づけば全身から皮が剥がれ落ちるくらいのひどいアトピーが再発してしまいました。
「もう誰にも会えない。こんな姿は見られたくない。」
人一倍プライドの高かったぼくは、それ以来、毎日のように遊んでいた友人とも一切連絡を断ち、引きこもりの生活をおくるようになります。
「ステロイド剤は害悪」というネット上のプロパガンダに踊らされて医者にかからず、さらには「水素水こそが大正義」という詐欺サイトに釣られて、北九州に30万円する機器を買いに行ったりと、迷走しまくっていた暗黒期。
毎日7リットルの水素水をひたすら飲み続け、トイレと自分の部屋を行き来する生活を半年以上続けていました。
そんな時期をずっと見守り、支え続けてくれた存在が母親でした。
毎日ずっと部屋に閉じこもっている自分を見かねて、「ウォーキングに行こう!」とことあるごとに、伏見稲荷神社の裏山散歩に連れ出してくれました。
「(就活ピークの)春になる前に、大学病院を受診してみない?」
山頂の岩に腰掛け、澄んだ空気を吸い込みながら、ぼくは母親の言葉に自然と耳を傾けていました。
入院してからは本当にあっという間で、わずか2週間で全く何もなかったかのような見た目に戻ることができました。
大好きだったアパレル業界に就職

自分が一生をかけて続ける仕事は、絶対に大好きな洋服を扱う仕事にしたい!
給料や一部上場といった情報は一切気にせず、自分が入りたいと心から思えるアパレル企業だけに書類を送付し続け、見事第一希望の会社からの内定をもらうことができました。
通知が届いたのは、夏休みに入ろうかという遅いタイミングでした。
新卒で入社したその会社は、翌年に株式公開を控えてノリに乗っている時期だったこともあり、新入社員にもどんどんチャンスが回ってきました。
2年目には店長として北海道に転勤。4年目には、本部バイヤーとして東京本社に転勤。自分で言うのもおかしいけれど、側から見れば完全に絵に描いたような出世ストーリーだったと思います。
2度目の大きな挫折経験
が、世の中そんなに甘くはない!
めでたく東京で本社スタッフとして働くことになったのですが、ブランドの心臓である商品を企画しているバイヤーですから、当然まわりはみんな高い意識を持ったプロ集団なワケです。
それまでは、OJTを受けてチェーンストアの運営マニュアル通りにすれば、誰でも結果を出せる環境だったのですが今回は勝手が違います。
出勤初日、会議で飛び交うダメ出しや意見の衝突を目の当たりにして、完全に環境に飲まれてしまいました。
「店舗研修では1から丁寧に教えてもらったのだから、当然、本社でも1から優しく教えてもらえるもんだ。」
そんな自分勝手な甘えや期待が一瞬にして吹き飛んだ衝撃は、未だにトラウマとなって心に残っています。
当時は先輩バイヤーも多忙を極めていて、最初の1日だけ商談の現場に同行した後は、すぐに一人で業務を担当するようになりました。
うわべだけ先輩がやっていることを真似てみるものの、地に足がついておらず自分でも何をしているのか全く理解していないまま、ドンドン新商品の発売日だけがが近づいてきます。
「わからないことは必ず上司に聞く。」
この誰でもできることが、この時のぼくにはどうしてもできませんでした。
・何から聞いていいのか解らない
・わからないと言うことで、できない奴という烙印を押されるのがコワい
・傷つきたくない
というどうでもいい理由を並べて、自分を守るのが精一杯だったのです、
案の定、自分が初めて企画した商品は、びっくりするくらい売れませんでした。
「不人気」どころの騒ぎじゃないです。1ヶ月で売り切るつもりで用意した季節の主力商品が、発売初週で目標のの1/10も売れなかったんですから。
商売をやってる人ならこのヤバさは分かると思いますが、個人商店だったら間違いなく倒産レベルの大失敗です。
今振り返ると、1ミリも成功する要素なんてなかったんですよね。
「バイヤー」という肩書きに酔って、中途半端に他ブランドで売れているものを模倣して、下請け会社にサンプル作成を依頼。
もちろん下請けなので、担当の方は指示通りにサンプルをあげてくれます。特にアドバイスをもらうようなこともらうようなことはありませんでした。
当たり前すぎて情けないんですが、仕事云々以前に担当者と人としてのコミュニケーションが全く取れていなかったんですね。
自信のなさそうな言動も含めて、ぼくが“本気でいい商品を作ろうと思っていない”ことを、見透かされていたんだと思います。
自分が心からオススメできないものが、お客様に買ってもらえるはずがないですよね。
誰にも相談せずに、自分の責任において行動した結果ですから、先輩も擁護のしようがありません。
一言でも、誰かに「助けてください」と言えていたら、結果は違ったものになっていたでしょう。
中途半端なプライドや自尊心なんて、クソほどの役にも立たないと言うことを思い知りました。
転職を経験。外資の企業風土の洗礼を受ける
子供ができたことをきっかけに、奥さんの実家のある福岡に生活拠点を移したのが2006年のこと。
次に選んだのは、外国の老舗アパレルブランドでした。
まがりなりにも日本のアパレル企業で数年経験を積んだ自負はあったものの、入社してすぐに自分の大きな勘違いに気づかされることになります。
一番驚いたのは、マネージャーや店長だけでなく、社員全員が個人営業主のような経営者感覚を持って仕事をしていることでした。
自分で目標や計画を立てて、それを達成するために自分で考えて行動する。その結果、会社に対してどんな貢献ができたかを自分からアピールする。
勤続年数や年齢ではなく、売上実績という目に見える数字で分け隔てなく評価を行う。
今では当たり前と言われるかもしれませんが、当時の自分にとっては随分なカルチャーショックでした。
そんな中で10年間揉まれてきたことで、確信を持って言えることが一つあります。
自ら率先して行動を起こすこと。そして、その実績が自分で満足いくものなら、積極的に相手にアピールすること。
世の中、自分が思っているほどあなたに興味なんてありません。
自らやるべきことを決めて行動できる人。そして、得た結果を他人に情報発信できる人。今の時代、そんな人が世の中に求められているんじゃないかと思います。
急性リンパ性白血病になったのでブログ始めました

2015年4月17日、それまでまでの人生を一変させるような病気にかかっていることがわかりました。急性リンパ性白血病です。
この日を境に、ぼくの1度目の人生は終了しました。
ぼくは今、2週目の人生を歩んでいます。
そして、このブログを通して「たとえ病気になったとしても大丈夫。もっと楽しい将来が待っているよ!」というメッセージを発信していきたいと思っています。
過去に捉われるのではなく、大切な過去の経験を生かして、これからの幸せだけを考える。自分と関わる人達を幸せにするために生きる。
そういう気持ちで発信を続けていきます。
どうぞお付き合いください。
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